記憶が無くなった旦那。

薬を大量に飲んで自殺しようとした旦那ですが
翌日の朝になってようやく意識を取り戻し、しゃべれるようになりました。

でも、薬の影響か、ろれつが回らず、なにを言っているかわからない。

手足にも力が入らず、起き上がれず。

子供の都合で、面会に行けたのは救急搬送の翌日の夕方だったんですが
自分が自殺しようとした記憶をすっかり無くしていて
どうしてこんなところにいるの?と不思議がっていました。

遺書によれば、
会社での上司の圧力を苦にして、楽になることを選んだようですが
そんなことはすっかり忘れているので、

 

こんな忙しい時に、会社を休めない、明日は会社に行くから、と言いました。

 

明日は会社に行くと言っても、体が動かないので行けもしません。

 

救急搬送当日は、
大量服薬の人は、夜中に苦しがって暴れたり
幻視が起きて暴れる可能性があるので、
その際には、腕を拘束することもありますと言われましたが、
旦那の場合には、暴れるのではなく動かなくなってしまったようです。

アモキサンという薬を飲むと、めまいのような副作用出ることもあるらしく
血液検査の数値は、大きく酸性に傾き
血液中の乳酸の値もものすごく多いので、
体が疲れているのでしょうと先生に言われました。

 

自殺の危険がある患者なので、ということで、
一般病棟には移らず、
最初に運ばれた救急救命センターで
常に職員の目がある場所に入院することになりました。
本人が記憶を失っているなら大丈夫かなと思いましたが
自分が自殺を図って失敗したことを思い出して
屋上から身投げをされても困りますので
看護師さんたちに、脱走しないように気にかけて頂きました。

とは言っても、この場所は、集中治療室の一角にあったので
閉鎖空間になっていて、
後で歩けるようになってからも
トイレを使用する際には、
患者は鍵をかけてはいけない、というような決まりになっていました。

 

 

旦那の記憶は、薬を大量に飲んだ日の昼間(12時間前)から
すっかり消えていて
しかも、反動で躁状態になっていて、
ろれつが回らないのに、やけに明るく、鷹揚な、他人向けの性格で話をしていました。
体がほとんど起こせない状態なのに
会社で必要な資料を持ってきてくれとか、
書斎に置いてある勉強用の本を持ってきてくれと言い張りました。

 

担当の医師が、救急医でもあるけれど精神科の医師でもあったので
旦那に対して3回も、
自分で薬を大量に飲んだことによる自殺未遂だったと伝えてくれたようですが
旦那はそれを全く理解せず、
ようやく理解してくれたのは、救急搬送から5日目のことでした。

 

理解させたのは私でした。
血液検査の数値が下がりさえすれば退院と言われたので
自宅で記憶を取り戻してパニックを起こされても困るので
退院前に、病院で知っておいてもらいたいと思ったのです。

 

想像してみてもらいたいんですが、
自分が過労かなにかで体調が悪くなって入院していると信じている人に
あなたは死ぬつもりで薬を飲んだようです、
先に死んでごめんなさいと遺書があります、
会社の上司を名指しして、
あいつのせいで俺は死ぬと書いてありましたと伝えるのは
本当に勇気のいることでした。

 

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カテゴリー: 自殺未遂

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